手塚治虫と会津

手塚治虫が愛した会津。

手塚治虫と会津/列車の中で、熱心に8ミリカメラを回す手塚先生

昭和30年代、空前の漫画ブームに沸くなか、会津にも漫画研究会が結成されました。 その会から、手塚先生の「アシスタント」として、笹川氏(現タツノコプロ顧問)、平田氏、舟久保氏の3名の青年が上京します。 彼らは正式なアシスタント採用としては第1号でした。昼夜を問わず作業を続けながら、いつも「故郷 会津」の話をしていたとのこと。
そんな会津の話を耳にしていたことから、ある日突然手塚先生は「会津に行こう」と宣言。 ついに昭和34年、アシスタントの笹川氏、平田氏の2人を伴い会津を訪れます。 このとき、地元の会津漫画研究会のメンバーは熱烈に歓迎し、会津の風土もまた手塚先生の疲れた心と身体を癒してくれました。
この体験が手塚先生の心に深く刻まれ、作品の舞台にまで登場させるなど生涯に渡る会津への愛着を育てました。 その後も、漫画家の仲間たち、そしてご家族まで連れて訪れてくれました。

手塚治虫ゆかりの場所と周辺のスタンプ設置場所

昭和34年 4月

手塚先生は同年創刊の漫画週刊誌「少年サンデー」に『スリル博士』を連載中で、第4話「博士のノイローゼ」を旅行中の東山温泉の宿で描き上げます。会津若松駅、鶴ヶ城、背あぶり山とロープウェイ、飯盛山の参道、町並などが作品に登場します。

『スリル博士』第4話「博士のノイローゼ」
鶴ヶ城や東山温泉が描かれた場面。
戸ノ口堰洞門前にて
飯盛山にある戸ノ口堰洞門前にて撮影されたもの。

昭和47年 9月

戦後に活躍するマンガ家らを中心に結成された「漫画集団」の親睦旅行で会津へ。このときは手塚先生が幹事になったため、会津が選ばれました。
メンバーを引き連れ「会津まつり」に参加。漫画教室やサイン会を催し大盛況でした。祭りの後、皆さんと裏磐梯観光に出かけ、五色沼散策や昼食をとり会津を満喫されました。

五色沼にて
五色沼をバックに初代会津漫画研究会会長の白井氏と。
鶴ヶ城にて
「漫画集団」が親睦旅行で鶴ヶ城を訪れたときの記念写真。

昭和50年 8月

恒例の家族旅行は手塚先生の発案で突如会津に決まります。貸切バスに家族、親戚9名を乗せいざ会津へ。手塚先生は仕事が終わらず後からタクシーで合流するなど、てんやわんやでしたが、飯盛山やさざえ堂、五色沼、野口英世記念館等を巡り合間に漫画教室を開くなど賑やかな旅行でした。

野口英世記念館
家族旅行で訪れた手塚先生は子供たちに説明をしながら見学しています。
漫画教室にて
漫画教室を行う手塚先生。

手塚治虫ゆかりの場所と周辺のスタンプ設置場所

鶴ケ城

鶴ケ城
中央エリア|会津若松市

天守閣が鶴の姿を想起させる名城。 会津のシンボル。

鶴ヶ城(観光案内所)

東山温泉

東山温泉
中央エリア|会津若松市

1300年という歴史を誇る、奈良時代の名僧、行基菩薩が発見したと伝えられる名湯。

飯盛山(観光案内所)

飯盛山・さざえ堂

飯盛山・さざえ堂
中央エリア|会津若松市

不思議な二重構造のらせん階段は世界的にも珍しい建築物で国重要文化財。

飯盛山(観光案内所)

五色沼

五色沼
東エリア|北塩原村

1888年の磐梯山大噴火によって生まれた五つの沼で、さまざまな青色に輝く湖水が魅力。

裏磐梯ビジターセンター

野口英世記念館
東エリア|猪苗代町

生家や生前使用していた道具、母・シカが英世に送った資料などの展示を見学できる。

野口英世記念館

向羽黒山城跡

向羽黒山城跡
中央エリア|会津美里町

名作『夜明け城』の着想を得たといわれる城跡。阿賀川を見下ろす断崖絶壁の岩山に立つ要塞であった。

会津本郷陶磁器会館