会津に逃れた千利休の子 ・少庵ゆかりの茶室
天正19年千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。この時、千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津の領主、蒲生氏郷は、利休の子の少庵を会津にかくまい、豊臣秀吉に『千家再興』を願いでました。この結果、小庵は京都へ帰り、千家茶道は少庵の子『宗旦』に引き継がれ、その孫により武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され現在に伝えられています。
この「麟閣」は少庵が会津にかくまわれていた時、氏郷のために造ったと伝えられています。
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